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柏木俊夫 「芭蕉の奥の細道による気紛れなパラフレーズ」

柏木俊夫(1912~1994)という邦人作曲家の「芭蕉奥の細道による気紛れなパラフレーズ」という作品について紹介したいと思います。

目次

作品の特徴

この作品は1952年のジェノヴァ国際作曲コンクールで入選した作品で、柏木俊夫の作品の中では代表的な(少なくともピアノ曲の中では)作品のようです。

17曲からなる作品で、全体で50分程度。各曲のタイトルが松尾芭蕉(または曽良)の俳句となっているのが特徴で、最後の曲以外は、芭蕉の辿った道のり通りの曲順になっています。

そのため季節が次第に春から秋へと進んでいくので、チャイコフスキーの「四季」やパルムグレンの「太陽と雲」に似た雰囲気も感じられます。

楽譜と音源

楽譜は音楽之友社が受注生産で取り扱っています。私は桐朋学園大学附属図書館で借りたものをコピーしました。

音源は迫昭嘉さんと浦山純子さんが全曲の録音を行なわれているほか、守山薫さんがリサイタルで第1,5,6,10,15,17曲を演奏されたものがCDとして発売されています。ちなみに私も東京大学ピアノの会の二月演奏会(2018年)で第1,5,6,15,17曲を演奏したのですが、抜粋箇所がかなり被ったのは偶然です。また花岡千春さんは邦人作品を集めたCDにおいて、第1,5,8,15曲を録音されています。

それでは1曲ずつ説明していこうと思います。Youtubeなどに音源がないため、私が演奏したものに関しては演奏動画を紹介させていただきます。

第1曲 「草の戸も住み替はる代ぞ雛の家」

芭蕉が旅立ちに際して詠んだ句。季語は「雛」で春。ハ長調で書かれており、流麗なアルペジオに乗ってシンプルなメロディーが奏でられます。時折意表をついたような和声が登場するのが面白いです。出発前のワクワク感のようなものを感じます。

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第2曲 「行く春や鳥啼き魚の目は涙」

打って変わって、変ロ短調で書かれた重たい感じの曲で、旅立ち直後の、なんとなく不安でメランコリックな心情が重ねられているような気がします。和風なメロディーが素敵です。

第3曲 「入りかかる日も糸遊の名残かな」

「糸遊」というのは陽炎のことで、春の季語です。2小節おきに挿入される、カデンツァのようなアルペジオが印象的。メロディーらしいメロディーが頭に残らず、どことなく捉えがたいような印象のある曲です。

第4曲「あらたふと青葉若葉の日の光」

夏の季語「若葉」が使われ、ここから夏になります。栃木県の日光で詠まれた句で、「日の光」は日光という地名ともかけられています。ト長調で書かれた明るい雰囲気の曲で、キラキラした右手の高音域のアルペジオが特徴的な、光に溢れた作品です。

第5曲「野を横に馬ひきむけよほととぎす」

馬が走っているのを模したような一貫したリズムに乗って進んでいく、軽快な曲です。第5曲と第6曲は那須で詠まれた句で、ともに夏の季語である「ほととぎす」が使われています。

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第6曲「落ち来るや高久の宿のほととぎす」

自由で即興的な曲で、鳥の鳴き声を模したような連打とアルペジオが印象的です。調性の掴みづらい不思議な和音が多用されているのも特徴的です。

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第7曲「卯の花をかざしに関の晴着かな」

この曲は芭蕉ではなく、弟子の曽良白河の関で詠んだ句です。変イ長調で書かれた、付点のリズムが多用された作品で、明るく軽やかな雰囲気が印象的です。

第8曲「風流のはじめや奥の田植えうた」

第7曲に引き続き、明るい雰囲気の作品です。重厚な和音が特徴的です。この辺りから白河の関を越え、陸奥(現在の東北地方)へと入っていきます。

第9曲「笈も太刀も五月にかざれ紙幟」

かなりピアニスティックに書かれた作品です。ショパンエチュードOp.25-3に似た感じのリズムが印象的。ちなみに左手の音形はショパンのプレリュードOp.28-8と全く同じです。

第10曲「夏草やつはものどもが夢の跡」

奥州藤原氏が栄華を極めた平泉も、今や夏草が茂るだけ、そういった、なにか虚しさや儚さのようなものを感じる句です。嬰ハ短調で書かれた、暗くも味わい深い作品です。途中のカデンツァのような部分は印象的です。

第11曲「五月雨の降りのこしてや光堂」

光堂とは中尊寺金色堂のこと。右手のアルペジオに乗って左手でメロディーを奏でます。イ長調で書かれていますが、他の作品と同様、面白い和声進行をする箇所も多いです。明るく穏やかな曲調の作品です。

第12曲「閑さや岩に沁み入る蝉の声」

句の方はかなり有名でしょうか。ちなみにこの句だけでWikipediaの記事があります。曲を通して一貫するリズムと、バスの響きが印象的な作品です。冒頭がドビュッシーの「グラナダの夕べ」に似ていると感じるのは私だけでしょうか。

第13曲「五月雨をあつめて早し最上川

急流として知られる最上川の激しさを詠んだ句で、それを模したような急速で技巧的な曲となっています。この句、この曲の音形には一見似合わないように思える嬰ヘ長調という調性を持ってきたことで、明るく楽しい曲想になっています。

第14曲「暑き日を海に入れたり最上川

同じく「最上川」が使われていますが、こちらは打って変わって全体的に静かな曲です。前者は最上川の激しさ、後者は涼しさを詠んだような句であり、それが曲にも反映されています。季語は「暑き日」で夏ですが、次の曲から、季節は秋になります。

第15曲「終宵秋風聞くや裏の山」

第7曲と同じく曽良が詠んだ句です。曾良は体を壊して途中で帰ることになり、その道中に⽯川県の全昌寺に泊まり、この句を詠みました。曲全体を通して⾼⾳域のアルペジオが多用されており、芭蕉と別れた寂しさを反映するかのような、繊細で寂寥感の強い曲です。

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第16曲「散る柳あるじも我も鐘を聞く」

フラットの多い変ト長調で書かれた、落ち着いた雰囲気の作品です。音数は少なく自由で間の多い曲で、和風なロマンチシズムを感じます。

第17曲「荒海や佐渡に横たふ天の河」

佐渡島で読まれた句です。季語は「天の河」で秋。印象派⾵の曲が続く中、⼀転してロマン派的な雰囲気に転じることなどから、作曲者が明⽰的に「終曲」として持ってきたことが伺える曲です。荒波を模したかのようなアルペジオに乗って、息の⻑い旋律が奏でられます。ホ短調で書かれていますが、転調を重ねる中で多用な表情を見せます。曲全体を締めくくるにふさわしい、ダイナミックな曲です。

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長大な上に有名でもない作品ですが、この作品に少しでも興味を持っていただいた方がいらっしゃれば幸いです。